難波宮(なにわのみや)naniwa no miya
七世紀から八世紀末まで営まれた宮。『日本書紀』には孝徳天皇の白雉三年(六五二)に「難波長柄豊碕宮」が完成した記事があり、天武天皇十二年(六八三)にも難波宮の造営が記される。また、八世紀に入って聖武天皇の時代にも難波宮が造営され、天平十六年(七四四)には一時期、都となった。その場所は、現在の大阪市中央区法円坂にある国史跡「難波宮跡」。延暦三年(七八四)に難波宮は廃され、中心部の建物は長岡宮へ移送された。
第66回 正倉院展、2014年
七世紀から八世紀末まで営まれた宮。『日本書紀』には孝徳天皇の白雉三年(六五二)に「難波長柄豊碕宮」が完成した記事があり、天武天皇十二年(六八三)にも難波宮の造営が記される。また、八世紀に入って聖武天皇の時代にも難波宮が造営され、天平十六年(七四四)には一時期、都となった。その場所は、現在の大阪市中央区法円坂にある国史跡「難波宮跡」。延暦三年(七八四)に難波宮は廃され、中心部の建物は長岡宮へ移送された。