恭仁宮(久仁宮)(くにのみや)kuni no miya
天平十二年(七四〇)十二月、聖武天皇が伊勢・美濃方面への行幸の末にたどり着き、都と定めた場所。現在の京都府木津川市加茂町にある国史跡「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」がその故地。聖武天皇は、天平十六年(七四四)閏正月に難波宮へ移動するまで、基本的に恭仁宮にあって政務を執った。天平十四年には平城宮の大極殿が移築され、着実に都としての体裁を整えつつあったが、完成に至らないまま天平十五年末に造営は中止された。
第66回 正倉院展、2014年
天平十二年(七四〇)十二月、聖武天皇が伊勢・美濃方面への行幸の末にたどり着き、都と定めた場所。現在の京都府木津川市加茂町にある国史跡「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」がその故地。聖武天皇は、天平十六年(七四四)閏正月に難波宮へ移動するまで、基本的に恭仁宮にあって政務を執った。天平十四年には平城宮の大極殿が移築され、着実に都としての体裁を整えつつあったが、完成に至らないまま天平十五年末に造営は中止された。