五月一日経(ごがつついたちきょう)gogatsutsuitachikyō
光明皇后(こうみょうこうごう)が亡き父母(藤原不比等(ふじわらのふひと)・県犬養橘三千代(あがたのいぬかいのたちばなのみちよ))のために書写させた一切経(いっさいきょう)。巻尾に記された願文(がんもん)の日付が天平十二年(七四〇)五月一日であることから「五月一日経」と呼ばれる。写経の開始時期は明確ではないが、天平八年(七三六)に玄昉(げんぼう)が唐から五千余巻の経典と一切経目録を持ち帰ったことで、事業は本格化した。聖武天皇(しょうむてんのう)が崩御(ほうぎょ)した天平勝宝八歳(七五六)に事業を停止したとみられ、書写された総巻数はおよそ六千五百から七千巻近くにのぼったと推定されている。
第76回 正倉院展、2024年