玄昉(げんぼう)Genbō
奈良時代の法相宗(ほっそうしゅう)の僧。義淵(ぎえん)に師事。七一七年に遣唐使として入唐学問し、玄宗皇帝(げんそうこうてい)より紫袈裟を許される。七三五年に帰国し、約五千巻の経巻を請来(しょうらい)した。同期の遣唐使に吉備真備(きびのまきび)がいる。聖武天皇(しょうむてんのう)の母宮子(みやこ)の病を回復させたことで栄寵を得るが、沙門(しゃもん)の行いに背(そむ)くと時の人々の憎むところとなる。九州で起きた藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の乱は玄昉と真備を政治から除くことを訴えたものであった。筑前(ちくぜん)の観世音寺(かんぜおんじ)に左遷(させん)され没する。?~七四六
第76回 正倉院展、2024年
Genbō
(d. 746) A Hossō sect scholar monk who went on the official mission to Tang dynasty China in 717 and stayed until 734. He returned with numerous esoteric texts and sutras, many of which would become the basis for sutra copying in the Scriptorium.
74th Annual Exhibition of Shōsō-in Treasures, 2022